はんだごてリポート

はんだごては1回しか使ったことありません.趣味は鉄道を中心に幅広く.

ヱヴァンゲリヲン新劇場版Qの思い出

私がエヴァを知ったのは2009年の初夏だったと思います。当時高校生で、それ以前はパチ屋の前に置かれてるプラグスーツ姿でボディラインくっきりのレイの看板を見て目を背けたぐらいの記憶しかなかったのですが、友人からまだ見てないなら絶対見た方がいいと言われてTV版の方を観始めたらまぁずるずると最終話まで行ってしまった。面白いな、という感情もきっとあったとは思いますが、それ以上にとにかく衝撃を受けました。そして自分の中にあった鬱屈した感情が爆発してしまい、視聴してから半月以上は本当に憂鬱でしかたなかった。それぐらいのエネルギーを持ったアニメでした。ここで自分らしいなと思うのですが、おそらくエヴァを見た方は視聴後憂鬱になったという僕の感想を聞いて「シンジくんの人生過酷すぎだよね」とか「グロいもんね」とかそんな理由だと想像するのでしょうが、そうでなくて、シンジとレイ・アスカの関係に嫉妬やら絶望やら色々入り混じった感情を抱いたのです。

 

私は成人していい歳こいたあとも年甲斐もなく青春コンプレックスを拗らせてるしょうもない男ですけど、高校生の頃には既にその自覚はあったんですね。高校生で青春コンプもくそもないだろというのはごもっともなんですけど、人間とは愚かなものでその時点で既に得たものを見失い、無いものねだりをする生き物なんです。要するに男子校生活が長すぎて女子という存在を見失ってしまい、それはもう大変だったわけです。当時中高一貫の男子校生活4年目で色々と歪んでしまっていた私にとってあのアニメは心揺さぶるに十分すぎました。俺もう女子と何年会話してないんだ将来こんなんでやっていけるのか(やっていけませんでした)とか同年代の女子に対して不安恐怖劣情なんでもありの屈折した心を持った自分にはシンジくんのストーリーがいちいち刺激的すぎました。特にシンジくんとアスカがお遊びでキスしてアスカがそれを気持ち悪がるシーンは本当に頭が混乱してよくわからなかった。今現在の自分が当時の自分を俯瞰したらあんなひげもじゃのおっさんが作ったアニメを真に受けてキモいと思われてるなとかわかりますけど、当時は本当にそんな感じでした。

 

旧劇場版の「気持ち悪い」まで観て一通り憂鬱になった後、次は新劇場版だなと先の友人から言われ、まず金曜ロードショーで序を視聴。その後は期末試験があったのでそれをやり過ごし、夏休みに入ったところで絶賛公開中だった破を観に渋谷まで向かいました。これがもうとにかくとにかく衝撃だった。劇場から家に帰るまで放心状態でした。脳の処理が追いついてない感じですね。しかしこの映画を観た後に残ったのは「憂鬱」ではなく「感動」でした。それはストーリー的なものもそうだし、シンジくんへの共感もそうだし、演出にも魂が震えました。特にレイがシンジくんを少しでも楽しくさせようと健気に不器用に行動している姿が本当にグッときていて、ラストでS-DATが映った瞬間にはもう声が出そうなりました。そして衝撃の予告。ある程度TV版のシナリオをなぞった破とは異なる完全新規ストーリーのQがどんなものになるのか、30秒のあの映像で想像が膨らみ、早く公開してくれと願う自分がいました。

 

そして2012年。この時の私はあまりよくない浪人生でした。よくないというのは、高校3年間で勉強らしい勉強などせずにエキストラ1年だけでなんとかしようという浅ましい魂胆をもった人間だったから。優れた頭脳を持ち合わせていればそんな魂胆でも成功するかもしれないけれど、あいにくたいしたことない私は当然うまくいくはずもなく絶望していました。なにもそんな年に公開してくれなくてもと思いつつも受験直前の12月初旬に浪人仲間たちと新宿のバルト9へ足を運んだのです。そしてあのQを見たわけですね。

 

正直に言いますと、当時の私は激しく絶望しました。いっそ死のうかと思った。こんなのないでしょ、なんでやねん、なんでこうなった。劇場を後にして新宿駅へ向かう甲州街道の歩道を行く我々浪人仲間五人衆をとりまく空気の重いこと重いこと。その一人に「どうだった」と聞かれても「ごめんちょっと答える気にならない」と言うしかないくらいの絶望(今考えると場を取りもとうとしたであろう友人に申し訳ない)。当時自分が置かれてる状況が自業自得とはいえ本当に精神的にキツくて、それを少しでも解消したくて観に行った部分もあったから尚更です。一視聴者の分際で生意気ですが、たぶん作品に対して不愉快・憎悪という感情もあったんでしょう。若い故に「なんでこうしないんだ」的な考えとリンクしていたとも思います。そして、破はBDを購入し何回も食い入るように見返したのに、Qは劇場での1回きりでBDも買わず、次第に新劇場版も含めエヴァシリーズへの興味も失っていき、期待と興奮でとてつもなく長く感じた破初視聴からQ公開までの3年よりも長い時間が驚くほどあっという間に過ぎて行きました。

 

そんなエヴァとの関係に転機が訪れます。時に2016年(惜しい)。大学も4年生になり研究室でろくに研究テーマも決められずにただ無意味な時間を過ごしていたころです。同じ学科の友人が新劇エヴァの上映会をやろうというので自分の研究室を貸したんですね。研究室に馴染みない方からするとよくわからないかもしれませんが、大学の研究室は教授の権力によって確保できる部屋数が決まります。メジャーな研究室は配属される学生の数も多く、使える部屋数が多い分いろんな用途の部屋を用意できるんですね。そうするとだいたいリラックススペース的な部屋があるんです。そこにテレビやらソファーやら置いてあるので仲間同士で酒を飲みながら夜通し映画を鑑賞したりするというのが恒例行事となっていました。大学によっては先人たちが酒のトラブルを起こしたせいで研究室宿泊が禁止になっていたりするそうですが、幸にして私の大学は宿泊はまったくフリーでした。話が横にそれましたが、そこで序破Qを一気見したんですね。序と破を観終わり、さあQが始まるわけです。2012年以来ですから4年ぶりの視聴ですね。完全に悪いイメージがついて思い出すことすら躊躇われていたQ。鑑賞してあの当時の胃が痛くなるような状況を思い出して嫌な思いにならないかな、とビクビクしていたのですが、仲間であーだこーだ言いながら観てみると意外と楽しい。酒のパワーもあったとはいえ非常に面白い。あれだけ憎んで記憶から消した作品だけど、楽しめている自分がそこにいたのです。ここでまず「Q」を視聴することの壁が取り払われました。

 

壁が取り払われた一方でエヴァへの興味は回復せずにいたのですが、時に2020年!いよいよ最終章シンエヴァの公開年がやってきた。わけあって無職状態で迎えた2020年、結局新型コロナの影響で公開が後ろ倒しになったことは皆様もご存知のところかと思います。公開延期が決定された後、おそらく延期前に決めた契約だったんでしょうが、序〜QのNHKでの放送がありました。いくらQに納得仕切っていないとはいえ、3作目まで観て最終章を観ないなんてことはありえないわけですから、まあ放送してくれるものは観ておくかぐらいの気持ちで4年ぶり3回目のQ視聴が実現したわけです。

 

これでやっとQという作品を真っ向からバイアスなしで評価できる状態に至りました。まず、いままで序と破は映画として完成されすぎてて、中にどんな仕掛けがあって謎が散りばめられているのかを認識してはいたものの情報として処理することが躊躇われていました。具体的にどういうことかというと、見る時は映画として丸々1本のものとして楽しみたいから、途中で一時停止して画面を細部までチェックしたり、キーとなる場面をスロー再生したりしたくなかったんです。それをやってしまうと、この映画で覚えた感動を忘れてしまいそうな気がしていたから。しかし、Qの放送を観て、何故だかわからないけど、やっとそういう細かい情報が気になり出したんです。これってエヴァを楽しむ上ですごく重要なことだと思っていて、「ここのシーンどういう意味なんだろ」って考えて、いろんな人の考察とかを観て、噛み砕いていくプロセスもまた楽しみの一つなんです。のめり込んでない人から見ると「考察厨」「信者」とか言われてしまうわけですけど、自分は別にそういう楽しみ方があっても良いと思うんです。というか人間誰しも少なくとも一つは「信者」やら「考察厨」になる分野があるでしょう。趣味にしろ好きなアーティストにしろ。逆にないとさびしいというか。まあそれはいいんですが、要するにQを受け入れるのに8年もかかったということですね。

 

受け入れた後偏見なしに観ると、荒廃した世界の描写もいいなと思えるようになりました。人間は一度対象に対して負の感情を抱くと、その感情を補強するような情報を恣意的に拾い上げたりするものなのですね。具体的には、Q視聴後は「誰もいないネルフ本部で発電がどのように行われどういうシステムで生命維持がされてるのかわからない」とか「作画が気に入らない」(これは正直今でも思うのですが)とかそんなことばっかり思っていた。そこに目が行きすぎてこの映画の評価すべき部分を見失っていたような気がしました。

 

ここまできてやっとシンエヴァを鑑賞する準備が整いました。こんな世界情勢ですからいつ公開するのかもわかりませんが、首を長くして待ちたいと思います。

 

楽しみだけど、現在進行形だったエヴァが一旦は終わるのもちょっとさびしいかな。Qの流れからいって絶対スッとした終わり方じゃないだろうし解釈があやふやでモヤモヤした映画になるんだろうな…。でもQの8年間の教訓を忘れることなかれ。ということだけ。