はんだごてリポート

はんだごては1回しか使ったことありません.趣味は鉄道を中心に幅広く.

アスカはTV版エヴァに必要だけど新劇場版にはいらないんじゃないか

こんな記事書くとアスカ派の人から怖いことされそうですけど実際そうなんじゃないか。

 

先日CS放送でやってたTV版エヴァと旧劇一挙放送の録画を見終えて改めて思った次第。テレビ版って自分が記憶していた以上にレイとシンジの接触が少なくやたらとアスカとの絡みが多い。だから最後アスカの「気持ち悪い」で終わるのもまあ納得なんですけど、新劇場版の尺だとアスカとシンジの話をうまく描写しきれていない感がある。考えてみると「序」まるまる一本使ってレイとシンジの内面の変化をもって物語をうまく繋いだわけじゃないですか。でそこに使徒が大量に出てきて追加キャラが大量に出てくる「破」になるわけじゃないですか。使徒5体も出てきて加持さんも出てきてマリも出てきてただでさえ尺がない上にレイが(ゲンドウの思惑もあって)料理を通じてシンジと接近してラストシーンもレイが持っていく。序と破だけ見たら完全にレイとシンジの物語ですよね。体感的にいったら描写時間レイ9のアスカ1ぐらいしかないんじゃないか。なんかアスカが物語の横でちゃんちきおけさ踊ってるだけのキャラクターにしか見えない。かわいそう。3号機に乗る理由もファーストに譲っただけでアスカのプライドがそこにないしその役は別にトウジのままでもよかったよなとさえ思えてくる。そしてQの見どころとしてよく挙げられるラストでシンジの手を引っ張っていくシーンにしても、母性を感じるみたいな意見が多くて、それってつまりテレビ版のレイじゃんってなる。まあTV版でレイが見せたお母さんっぽさとQのアスカだとバブみ的な観点で違いがあるから厳密には違うのかもだが。

もっとも新劇場版自体が旧世紀版見てたファン向けのサービス映像みたいなところがあるから制作陣的にはこれでいいんかな。

シンでアスカの扱いがどうなってるのかも見ものだなあ。

私的てーきゅう面白い回ベスト5

高宮なすのです!は抜きのランキングです。

 

5位 てーきゅう2期 第21面「先輩とメジャーリーグ

まりも先輩の「なすの、アパッチ持ってこい」の魅力に抗えずベスト5入り。

4位 てーきゅう6期 第68面 「先輩と魔法にかけられて

亀井戸名作劇場。「それほとんど身内の飲み会じゃん」で笑った。

3位 てーきゅう3期 第29面「先輩とハングオーバー!」

ゆりちゃんがボケ倒す珍しい回。そんな中でもかなえ先輩の「かまぼこー!」が際立つ。

2位 てーきゅう1期 第4面「先輩とグーニーズ

この回のオチはてーきゅうで一番でしょう。

1位 てーきゅう8期 第96面

スタンダードなてーきゅうのボケとツッコミの構造じゃないこの回。フライドチキン屋の店長がが冷めてるのが良い。

 

一通り見終わってから1期の喋りを聞いてスローモーションに感じるアレがまたよい。

 

高宮なすのです!だと第4話 「執事博士おおいに食べ、おおいに語る」の「生ぐっせえですわ…」と「お茶目かよ!」がすき。

理不尽納豆

この国の「納豆は食べられて当たり前」な風潮おかしくないですか?

 

どのタイミングで納豆を自分の可食レパートリーに入れるんだみんなは。生きてて納豆を食べる機会なんて皆無でそもそも馴染みがないからどうしようもない。

 

みんな本当に冷静になってくれ。なんであれが平然とホテルの朝ごはん御膳に乗っかってるんだよ。「朝ごはんは和食なら納豆は欠かせんよなぁ?」みたいな同調圧力を感じる。怖い。どう考えても万人に受け入れられるような食いもんじゃないでしょ。絶対好き嫌い極端に分かれるタイプの食料でしょ。なんでデフォルトで置かれてんだ。バイキングで置かれてるとかなら全然いいんですよ。そうじゃなくてホテル側でメニューが固定されててこちら側に選択権がないタイプの食事でそれやられると困るんですよ。一人旅ならともかくグループで旅行するときとかにそういうトラップ仕組まれると、「あいつこの年になって納豆も食えねえのか笑」とか必要のない辱めを受けるんですよ。理不尽すぎませんか。好き嫌いしちゃいけませんとか子供の頃言われたけどしょうがないじゃないですか。もう遺伝子レベルでその食べ物拒絶してるんだから。その食べ物摂取して得られる健康より食べてるときのストレス指数で収支マイナスになってるから絶対。いや納豆食べたことないけど。

 

まあでも納豆が優良な健康食であることは知っているし、それは疑う余地もない。納豆菌とその酵素ナットウキナーゼの働きについてもググったら効能がわんさかでてくる。なんと言っても自分は胃腸が弱い。納豆を比較的食べている父や姉は胃腸が強い方なのでもしかしたら納豆がその差なのかもしれないとも思った。そう言う考えもあり、いつまでも食べないでいるのもなんとなくもったいない気がするからとりあえずもう一回食べて判断しようと昨日重い腰を上げて納豆を食べた。本当に人生で一回も食べたことがないから食べ方をググった。いや本当にかき混ぜる段階から調味料入れるタイミングもちんぷんかんぷんだからググった。そのレベルで知らなかった。結論から言うと意外と悪くはなかった。最初かき混ぜが足りなくて口当たりがとても悪く苦味系のような酸味系のような微妙な味がしたが、後半よくかき混ぜると、単に下に溜まっていた醤油がよく混ざっただけかもしれないが、柔らかな口触りとなり、当初想定していた食べづらさはなかった。かといって特においしいとも思わなかったが、先述の通り効能をよく知っていたしこれで胃腸が改善されるようならおいしいとも思えなくとも日常的に食べるのもありかもしれない。そんな期待感で食事を終えた。

 

 

 

そして今日、俺は腹を下した。

 

ごめん、納豆。やっぱりお前とは生きて行けなさそうだ。

 

トップナンバーを記録していきたい

まずはトップナンバーをよく知らない人への説明から。

鉄道車両には形式と呼ばれるものがあります。一番有名な例で言うと新幹線の500系とかN700系などのシリーズですね。トップナンバーとはその形式の中で一番最初に作られた車両のことを指します。(E233系0番台のように製造順と番号が一致しない例もありますが細かいことは置いておきましょう)

そんな栄えあるトップナンバー車両を列挙していこうという趣旨の記事です。

全国のそれを集めていこう!というよりは「今までどんなん撮ってきたっけ」みたいな個人的まとめの趣向が強いのでそこらへんはご了承を。

103系以外は別の目的で撮影してるところについでに撮った感じです。

 

 

 

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原監督の増田投手起用を全面的に支持したい

まずNPBは出場選手登録枠がMLBに比べ多い、延長が12回まで、MLBほど日程や移動が過酷でない、ということもあり今まで野手が登板させるシチュエーションはなかった。しかし新型コロナで難しい調整を強いられ、通常のシーズンよりも過密日程をこなすことが求められており、出場選手登録枠が一時的に拡大されているとはいえ選手の負担は大きく、故障者も少なくない。そしてあの状況で勝ちパターンしか残っていなかった巨人は増田をマウンドに送った。

 

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2019年5月11日の試合前巨人軍ベンチ 一番左が増田大輝選手

 

巨人OBからの批判が目立つが、一野球ファンとしてこの采配を支持したいと思う。

 

そして何よりきちんと仕事を全うした増田大輝選手に拍手を送りたい。いくら高校時代に投手経験があるとはいえプロ野球の公式戦のマウンドに立ち、打者を抑えるというのは難しいと思うが、ひょうひょうと投げる姿に彼の凄さを感じた。

 

昨日の彼の投球を見て「金払って野手の投球なんて」と言っている人物が野球を理解していないだろうということは自信を持って言える。アメリカではストライクが全然入らない野手もいるし、ストライクが入らないことを嫌って山なりのボールを投げる野手もいる。しかし増田選手は130km/h中盤ながらキレのあるストレートを変化球を織り交ぜつつ自信をもって投げ、阪神の上位打線を抑えて見せた。平常時から緊急登板の練習を行なっていたそうではあるが、本職は野手であり、なかなか練習に時間を割けない中、あれだけのピッチングをやってのけた。これぞ金を取って見せるプロの技である。

 

投手経験者にしかわからない「マウンドは神聖なもの」とかそういったものは最大限尊重するが、はたしてチームが優勝に向かって突き進むことの前にそれがどれだけ尊いのだろうか。

 

原監督がいたずらに、遊びで彼をマウンドに送ったのならそれは批判されて当然と思うが、原監督の真意がそうでないことは火を見るより明らかである。現状セリーグ他5球団の惨状を見るに、最も勝利に向かって貪欲なのは原監督だけとしか思えないほどである。その監督が優勝のためにこの一手を打ったのだ。打順も頭に入れず10回で野手を使い切ってチャンスで投手を打席に立たせたどこかの監督はむしろこの姿勢を見習うべきだ。増田にも当然怪我のリスクがあるが、こう言った事態を見据えて予め調整させていたというから特に問題視することでは無いと思う。

 

阪神の打者に、ファンに失礼だという意見もあるが、阪神の打者が失礼だと思ったのなら打ち崩してマウンドから引きずり下ろせばいいだけだし、ファンとしてはあのままバッティングピッチャー同然の投手をマウンドに立たせることの方がよっぽど失礼と感じる。怪我のリスクを背負わせて勝ちパターンの投手をあの点差で投入するのも、もし自分が巨人ファンだったらいただけないだろう。

 

そもそも調べたらオールスターのイチロー登板にキレてたノムさんが南海監督時代に公式戦で広瀬をマウンドに送ってるではないか。パリーグ不人気時代だからサービスしたんだろうけど、ノムさんが「ファンが喜ぶんなら」って言ってやってるんならもうよくない?って気もする。

 

日本の息苦しさってこういうとこから来てるんじゃないかな。「プライド」「神聖」「聖域」「敬意」「伝統」どれも尊いしこういった文化が日本を日本たらしめて良い効果を発揮したことは間違い無いと思う。これからも大事にするべきだ。しかし悪いことしてない人に強制して明らかに有益性がある改革を阻害するようなものなのかな?

 

特に「巨人軍の伝統に似つかわしくない」と言ってた大物解説者のお二人。「巨人軍の伝統」とやらでソフトバンクに勝てますか?なにがなんでも優勝してやるという原監督の意気込みより優先させるべきことですか?

 

張本勲さんはこの采配に関して肯定的なコメントを残し、最後にこうおっしゃっていました。「最後はファンが判断すること」と。

 

一野球ファンとして、「大賛成だ」と強く主張させていただきます。

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版Qの思い出

私がエヴァを知ったのは2009年の初夏だったと思います。当時高校生で、それ以前はパチ屋の前に置かれてるプラグスーツ姿でボディラインくっきりのレイの看板を見て目を背けたぐらいの記憶しかなかったのですが、友人からまだ見てないなら絶対見た方がいいと言われてTV版の方を観始めたらまぁずるずると最終話まで行ってしまった。面白いな、という感情もきっとあったとは思いますが、それ以上にとにかく衝撃を受けました。そして自分の中にあった鬱屈した感情が爆発してしまい、視聴してから半月以上は本当に憂鬱でしかたなかった。それぐらいのエネルギーを持ったアニメでした。ここで自分らしいなと思うのですが、おそらくエヴァを見た方は視聴後憂鬱になったという僕の感想を聞いて「シンジくんの人生過酷すぎだよね」とか「グロいもんね」とかそんな理由だと想像するのでしょうが、そうでなくて、シンジとレイ・アスカの関係に嫉妬やら絶望やら色々入り混じった感情を抱いたのです。

 

私は成人していい歳こいたあとも年甲斐もなく青春コンプレックスを拗らせてるしょうもない男ですけど、高校生の頃には既にその自覚はあったんですね。高校生で青春コンプもくそもないだろというのはごもっともなんですけど、人間とは愚かなものでその時点で既に得たものを見失い、無いものねだりをする生き物なんです。要するに男子校生活が長すぎて女子という存在を見失ってしまい、それはもう大変だったわけです。当時中高一貫の男子校生活4年目で色々と歪んでしまっていた私にとってあのアニメは心揺さぶるに十分すぎました。俺もう女子と何年会話してないんだ将来こんなんでやっていけるのか(やっていけませんでした)とか同年代の女子に対して不安恐怖劣情なんでもありの屈折した心を持った自分にはシンジくんのストーリーがいちいち刺激的すぎました。特にシンジくんとアスカがお遊びでキスしてアスカがそれを気持ち悪がるシーンは本当に頭が混乱してよくわからなかった。今現在の自分が当時の自分を俯瞰したらあんなひげもじゃのおっさんが作ったアニメを真に受けてキモいと思われてるなとかわかりますけど、当時は本当にそんな感じでした。

 

旧劇場版の「気持ち悪い」まで観て一通り憂鬱になった後、次は新劇場版だなと先の友人から言われ、まず金曜ロードショーで序を視聴。その後は期末試験があったのでそれをやり過ごし、夏休みに入ったところで絶賛公開中だった破を観に渋谷まで向かいました。これがもうとにかくとにかく衝撃だった。劇場から家に帰るまで放心状態でした。脳の処理が追いついてない感じですね。しかしこの映画を観た後に残ったのは「憂鬱」ではなく「感動」でした。それはストーリー的なものもそうだし、シンジくんへの共感もそうだし、演出にも魂が震えました。特にレイがシンジくんを少しでも楽しくさせようと健気に不器用に行動している姿が本当にグッときていて、ラストでS-DATが映った瞬間にはもう声が出そうなりました。そして衝撃の予告。ある程度TV版のシナリオをなぞった破とは異なる完全新規ストーリーのQがどんなものになるのか、30秒のあの映像で想像が膨らみ、早く公開してくれと願う自分がいました。

 

そして2012年。この時の私はあまりよくない浪人生でした。よくないというのは、高校3年間で勉強らしい勉強などせずにエキストラ1年だけでなんとかしようという浅ましい魂胆をもった人間だったから。優れた頭脳を持ち合わせていればそんな魂胆でも成功するかもしれないけれど、あいにくたいしたことない私は当然うまくいくはずもなく絶望していました。なにもそんな年に公開してくれなくてもと思いつつも受験直前の12月初旬に浪人仲間たちと新宿のバルト9へ足を運んだのです。そしてあのQを見たわけですね。

 

正直に言いますと、当時の私は激しく絶望しました。いっそ死のうかと思った。こんなのないでしょ、なんでやねん、なんでこうなった。劇場を後にして新宿駅へ向かう甲州街道の歩道を行く我々浪人仲間五人衆をとりまく空気の重いこと重いこと。その一人に「どうだった」と聞かれても「ごめんちょっと答える気にならない」と言うしかないくらいの絶望(今考えると場を取りもとうとしたであろう友人に申し訳ない)。当時自分が置かれてる状況が自業自得とはいえ本当に精神的にキツくて、それを少しでも解消したくて観に行った部分もあったから尚更です。一視聴者の分際で生意気ですが、たぶん作品に対して不愉快・憎悪という感情もあったんでしょう。若い故に「なんでこうしないんだ」的な考えとリンクしていたとも思います。そして、破はBDを購入し何回も食い入るように見返したのに、Qは劇場での1回きりでBDも買わず、次第に新劇場版も含めエヴァシリーズへの興味も失っていき、期待と興奮でとてつもなく長く感じた破初視聴からQ公開までの3年よりも長い時間が驚くほどあっという間に過ぎて行きました。

 

そんなエヴァとの関係に転機が訪れます。時に2016年(惜しい)。大学も4年生になり研究室でろくに研究テーマも決められずにただ無意味な時間を過ごしていたころです。同じ学科の友人が新劇エヴァの上映会をやろうというので自分の研究室を貸したんですね。研究室に馴染みない方からするとよくわからないかもしれませんが、大学の研究室は教授の権力によって確保できる部屋数が決まります。メジャーな研究室は配属される学生の数も多く、使える部屋数が多い分いろんな用途の部屋を用意できるんですね。そうするとだいたいリラックススペース的な部屋があるんです。そこにテレビやらソファーやら置いてあるので仲間同士で酒を飲みながら夜通し映画を鑑賞したりするというのが恒例行事となっていました。大学によっては先人たちが酒のトラブルを起こしたせいで研究室宿泊が禁止になっていたりするそうですが、幸にして私の大学は宿泊はまったくフリーでした。話が横にそれましたが、そこで序破Qを一気見したんですね。序と破を観終わり、さあQが始まるわけです。2012年以来ですから4年ぶりの視聴ですね。完全に悪いイメージがついて思い出すことすら躊躇われていたQ。鑑賞してあの当時の胃が痛くなるような状況を思い出して嫌な思いにならないかな、とビクビクしていたのですが、仲間であーだこーだ言いながら観てみると意外と楽しい。酒のパワーもあったとはいえ非常に面白い。あれだけ憎んで記憶から消した作品だけど、楽しめている自分がそこにいたのです。ここでまず「Q」を視聴することの壁が取り払われました。

 

壁が取り払われた一方でエヴァへの興味は回復せずにいたのですが、時に2020年!いよいよ最終章シンエヴァの公開年がやってきた。わけあって無職状態で迎えた2020年、結局新型コロナの影響で公開が後ろ倒しになったことは皆様もご存知のところかと思います。公開延期が決定された後、おそらく延期前に決めた契約だったんでしょうが、序〜QのNHKでの放送がありました。いくらQに納得仕切っていないとはいえ、3作目まで観て最終章を観ないなんてことはありえないわけですから、まあ放送してくれるものは観ておくかぐらいの気持ちで4年ぶり3回目のQ視聴が実現したわけです。

 

これでやっとQという作品を真っ向からバイアスなしで評価できる状態に至りました。まず、いままで序と破は映画として完成されすぎてて、中にどんな仕掛けがあって謎が散りばめられているのかを認識してはいたものの情報として処理することが躊躇われていました。具体的にどういうことかというと、見る時は映画として丸々1本のものとして楽しみたいから、途中で一時停止して画面を細部までチェックしたり、キーとなる場面をスロー再生したりしたくなかったんです。それをやってしまうと、この映画で覚えた感動を忘れてしまいそうな気がしていたから。しかし、Qの放送を観て、何故だかわからないけど、やっとそういう細かい情報が気になり出したんです。これってエヴァを楽しむ上ですごく重要なことだと思っていて、「ここのシーンどういう意味なんだろ」って考えて、いろんな人の考察とかを観て、噛み砕いていくプロセスもまた楽しみの一つなんです。のめり込んでない人から見ると「考察厨」「信者」とか言われてしまうわけですけど、自分は別にそういう楽しみ方があっても良いと思うんです。というか人間誰しも少なくとも一つは「信者」やら「考察厨」になる分野があるでしょう。趣味にしろ好きなアーティストにしろ。逆にないとさびしいというか。まあそれはいいんですが、要するにQを受け入れるのに8年もかかったということですね。

 

受け入れた後偏見なしに観ると、荒廃した世界の描写もいいなと思えるようになりました。人間は一度対象に対して負の感情を抱くと、その感情を補強するような情報を恣意的に拾い上げたりするものなのですね。具体的には、Q視聴後は「誰もいないネルフ本部で発電がどのように行われどういうシステムで生命維持がされてるのかわからない」とか「作画が気に入らない」(これは正直今でも思うのですが)とかそんなことばっかり思っていた。そこに目が行きすぎてこの映画の評価すべき部分を見失っていたような気がしました。

 

ここまできてやっとシンエヴァを鑑賞する準備が整いました。こんな世界情勢ですからいつ公開するのかもわかりませんが、首を長くして待ちたいと思います。

 

楽しみだけど、現在進行形だったエヴァが一旦は終わるのもちょっとさびしいかな。Qの流れからいって絶対スッとした終わり方じゃないだろうし解釈があやふやでモヤモヤした映画になるんだろうな…。でもQの8年間の教訓を忘れることなかれ。ということだけ。